金盞香 一生と装い

末端にこそ神宿る
末端に心が現れる
通勤中のバス車内、往来の人のスマートフォンをタップする指の速度によって視えてくる心の速度。
手から伝わるものってありますね、昔踊りの先生に「末端にこそ神宿る」と言われたことを思い出し、ときどき指先の先端まで意識して過ごします。
そういえば20代の頃はもっとお金がなかったから自分の服はよく自分で縫った。
洋裁、和裁をする母からは「あんた、よくこんな作り方したな」とか「裁断があまい」などよくお小言がとんできたけど、お小言でよく済んでくれたなという程、今思えばお粗末で恥ずかしい限りだった。
服を縫うとき、わたしは例えば裾の処理だったり、ズボンの股上の部分を縫ったり、柄合わせだったり、最後の最後の気づかいが本当に雑だったと思う。襟なんてとんでもないから滅多なことがない限り手は出さない。よく言ってざっくばらんなわが服はそのため長持ちしなかったと憶えている。
全てが大切な中で末端にこだわりを持つ。
服作りは人生においての究極の選択を迫られた時の練習になると思っていて、例えば裁つことそのものもそうだし、一番最適な方法を用いて作るところ(この服においてどの策が良いかで時にイージーに、時に難関を通ったりすること)。末端や裏地など見えない部分を大切にすることで長持ちになったり、ちょっとひと手間が重要だったりするところは処世術や生き方そのものにも通じるように思う。
丁寧な服は感嘆する。服を大切にするとき、暮らしも調っていく。服が馴染んだとき、それは自分の一部のようになって、服そのものが身体の末端になる。末端に暮らしが結晶される。心が現れ装いが心に染まる。
全てから今日も学び授かり豊かさを培養する。
昨日、北の方では初雪。
さてどんな服を着ようか。

ғɪʟʟᴇ ᴇᴛ ᴄʜᴀᴛ

ᴅᴀɴᴄᴇʀ/ᴘᴀɪɴᴛᴇʀ/ʏᴏɢᴀ ɪɴsᴛʀᴜᴄᴛᴏʀ ɪɴᴛʀᴏᴅᴜᴄɪɴɢ ᴛʜᴇ ᴀᴄᴛɪᴠɪᴛɪᴇs ᴏғ ᴋʏᴏᴋᴏ ɴᴏʙᴜᴄʜɪ.

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