菊花開 うさぎとかめ
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秋菊が開く、釣瓶落としの速度は潔い。
わたしは、のんびりいかせてもらおう。
もしかしたら遅れている最中に元気をとりもどして今度は知らず引っ張っていく存在になっているかもしれない。
「焦燥感は何も生まない」
時間は有限という人がいる。
でもある踊り手の人はそれすらも最近よく分からなくなってきた、と言う。
「Mさんもとうとうボケてきたなぁ」なんて周りは笑い、わたしは彼がより深みに進み鋭敏になったのではと想定する。
マイヤ・プリセツカヤは70歳を超えてもポワントで瀕死の白鳥を踊り続け、わが家は何年か前の大晦日にアーカイブでそれを見た。
あれは凄まじかった。
たぶん大袈裟だけれど彼女は悠久の時を生きているのだと感じた。
子どもの頃から「職人」という人たちがたまらず好きだった。彼らの身体に目を奪われた。身体は全てが現れている。内側が滲み出て、外側を形成する。研鑽を証明する心身には感嘆するがやっと。
「ヨガはギリシャで生まれたという話もあるけれど、インドの人たちがヨガを研鑽してきたからこそ今わたしたちはヨガはインドだと思うんじゃないかな」
これは先日あった友人との会話での着地点。
続ければ本物になる。
わたしは今日も地道な道を進む。
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